
ジョージ・マイケルまで死んでしまった。今年の漢字は「訃」でいいだろう。
1989年。千葉県松戸市の中学生のたまり場には、きまってレーザージュークが設置されていた。動画を1回再生させるのに100円。中学生もバブル景気のなかにいた。
よく再生されていたのは『アンド・カウント・2・テン』、『スムーズ・クリミナル』、『バットダンス』、『ネヴァー・ゴナ・ギヴ・ユー・アップ』、そして『フェイス』。30年と経たずにみんな死んでしまうなんて。
ジョージ・マイケルについて、ぼくは誠実なリスナーではなかった。『ケアレス・ウィスパー』は郷ひろみのバージョンのほうが好きだし、『ラストクリスマス』も織田裕二、なんならYAMAHAのキーボードに内蔵されたデモ演奏のほうが好きだった。
レコード会社との訴訟で活動が滞った時期には、クイーンに加入すべきという短絡的な意見に同調したりもした。フレディ・マーキュリー追悼コンサートで彼がうたった『愛にすべてを』は素晴らしくハマってるけど、一回だけだからよかったのだと今は思う。
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90年代以降のセクシャリティのカミングアウトや、各種のトラブルもどうでもよかった。長い間隔をあけてリリースされる新曲も、チェックはしてもポータブルプレイヤーにコピーすることはなかった。カヴァー集やライブアルバムはスルーすることもあった。
2004年に英国でMEN OF THE YEARを受賞したこともすっかり忘れていた。ジョージ・マイケルが本名でないこともさっき知った。

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そんな特に好きでもない人物のことを、なぜ書いているのか。ぼくはずっと『フェイス』を待っていたのだ。ほとんどの曲は60点だけど、『フェイス』だけは加点法で2814点。ぼくにとってジョージ・マイケルとはそんな歌手だった。
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お気に入りの歌手やバンドが死んだり解散したとき、残念ではあるけれど、正直なところ「もう充分」ということが多い。しかしジョージ・マイケルは『フェイス』1曲でフル勃起にさせておいて、30年近くも放置したまま永遠に「その次」を与えてはくれなかった。
『フェイス』の恐ろしいほど完璧なプロモーションビデオをYouTubeで再生するたび、ぼくは心の中のレーザージュークに100円玉を入れ続けている。