まだ夏も盛りの時に、スイスから一通の手紙が届きました。

中身は私の友人夫婦の時計師とその奥さんからの結婚一周年のお知らせ。
彼らは結婚式の一年以上前に「式に来てねっ!」と告げて、
私はSave the dateさせられ、
そして彼らは昨年6月にスペイン、バルセロナで式を挙げたので、
唯一の日本人として初めて海外の結婚式に参加したのでした。
めっちゃアウェー感を感じましたが(汗)
アジアからは香港と台湾からが合流。


引き出物がアワーグラス!
早いもので、もう彼らも一年か・・・

自分は今まで数々の時計ブランドの仕事をしてきました。
有難いことに、メーカー本国のプロダクト関わる重鎮達と仲良くなる機会も得られました。


コミュニケーションは?
外資系が長かったくせに、語学が全くの不得意なのですが、
「時計好きと」
言う共通言語が、あっさりと言葉の壁を低くしてくれました。

スイスの時計産業はフランス語圏中心なので、
どちらも母国語でないと言う安心感もあります。
(とは言え彼らは大抵流暢に英語を話しますが。)
なので、結構有名な時計師達とは、
仕事抜きで案外普通の付き合いができる幸せに恵まれているのです。
この素敵なカップルの奥さんはナタリー、私のSotheby’s時代の同僚です。

生粋のスイス人で当時Sotheby’sロンドンオフィス勤務。
私とは香港オークションの準備やセールで一緒に仕事をする仲です。
時計のスペシャリストで
パテック・フィリップミュージアムにもいたことがあるだけでなく、
GIAもGEM-Aも取得し宝石学も完璧、
しかもエナメルなどのスイスの伝統的な技法の専門家でもあります。
Sotheby’s退職後は、
地元の超絶コンプリケーションを作るブランドに勤務していたこともありますが、
今はラショードフォンの国際時計博物館のディレクター。もう、むちゃくちゃ才女ですね。
その彼女が結婚した相手こそが、
私が本当に「神の手」と言うか「神の遣い」と言って差し支えない
真の時計師として尊敬している
RAÚL PAGÈS=「ラウル・パジェス」
です。

彼はAcadémie Horlogère des Créateurs Indépendants、
通称AHCIアカデミーの正会員。
知られているようにアカデミーはインディペンデントの時計師の集団で、
あのフィリップ・デュフォーをはじめ、F・P・ジュルヌもそのメンバー。
日本からもわずか2名のみが正会員としていますが、
「神の手」もしくは「神の頭脳」を持つことが
事実上メンバーの条件とも言える極めて狭き門なのです。
少し前に彼のアトリエを訪問したこともあるのですが、
まだ本格的に作品をリリースしていなかったので、
今までここGQブログでは紹介していませんでた。

ですが、こんな嬉しい手紙を受け取った事がきっかけですが、
彼が発表した最初の作品となる腕時計が全て完売した、
とこれまた嬉しい報告を受けたので、ここで彼の紹介をしたいと思います。

私は数多くの時計師と交流していますが、
RAÚL PAGÈS=「ラウル・パジェス」
は私の個人的な見解だけではなくて、
間違いなく「神の手」、いや「神の遣い」と言える時計師。


この程度のモデルは最も簡単な部類と言い放つテクニックを持ち
かのフィリップ・デュフォー氏が
自分の正統な後継たる時計師として彼を名指ししている事からも、
そうは異論は出ないと思います。

フィリップ・デュフォー氏はもちろん今では特別な時計師ですが、
デュフォー氏が時計作りにおいて最も気を使っていることは、
「スイス伝統的な時計作り」です。

ラウルをデュフォー氏が認めた理由、
それはラウル氏が時計師以前に「レストアー」出身だからなのです。
「レストアー」とは何かと言えば、言葉の如く「修復師」です。
「修復師」は「時計師」とはちょっと違います。
その一番の違いと言えば、オリジナルの
「製作の意図とその製作者の気持ちを汲む」
と言う事なのです。
機械部品はその機能を完璧に元通りにするのは当然ですが、
修復に当たって素材も製作当時のものを探し、
しかもなぜ作者はそれを使ったか?
なぜこの構造になっているか?
と言った点も推理小説の如く紐解くと言うのです。
深い・・・

ですから、卓越した腕前だけではダメで、その先が必要で
過去の作品と対話が出来なければなりません。
レストアするピースは、過去に何度か修復されている事も多いのですが、
その場合、オリジナルに忠実に修復されていない事が殆だそうで、
そんな過去の修復師の尻拭いも出来る事が、
最高のレストアーに求められるスキルなのです。
では、RAÚL PAGÈS=「ラウル・パジェス」の経歴はと言うと、
彼は子供のころからずっと、
伝統的な時計師の技術、知識、忍耐が要求されるそのクラフトマンシップに
惹かれていたことから、15歳になったとき、5歳年上の兄の友達が、
ウオッチメイキングについて勉強したらどうかインターンシップを薦た事から
この世界に入ります。
この最初のプロフェッショナルな仕事の経験によって、
今日にまで至る毎日情熱を注ぐ事の出来る仕事の出発点となりました。
彼は時計学校の中でも最も有名な一つである「ル・ロックル」の時計学校で勉強し、
普通4年の所、都合7年間在学し学んでいます。
最初の4年間は一般的な時計師になるための勉強をし、
その後2年間は時計修復の為の勉強。
加えてさらに1年は時計製造の為の勉強を行っています。
これは異例に長く、通常の履修では修復は学びません。
彼と時を同じくして修復を学んだものは、
彼を含めて2名しかいなかったほど。
特殊な分野で、選ばれた人しか進めないのです。
卒業後は時計の修復師として働き始め、
ヴィンテージ物の複雑時計、柱時計、オートマタンの修復を行っています。
何と言っても驚くべき仕事は、
「パテック・フィリップミュージアム」の目玉の一つである
ピストル型のシンギングバードや、

サンドー財団コレクション所有の世界の至宝と呼べる
「ファベルジュのインペリアルイースターエッグ」です。

ファベルジェですよ、ファベルジェ!!
もう一度言います、「ファベルジェ!!」
そう、某有名な時計師が行ったとされた修復は、なんとそのほとんどが
ラウルの手によるものだったのです!
「スイス中の博物館のマスターピースの修復は、
大変に価値のあるピースに触れられるだけではなく、
歴史そのものに触れられることであり、と願ってもないチャンスであり、
いつも大きな満足感を得る事ができました。」
と彼は話してくれました。

しかしそうは言っても、
彼はいつの日か最初から最後まで自分の手になる作品を作ってみたい、
と言う強い思いも募ったのです。
自ら作品が作れる人は、当然そう思うでしょう。
特に歴史に残る作品の修復を行う彼の事、歴史に自作があってもと思うのは
当然の自然の流れ。
彼の腕を見込んで舞い込む修復の傍、


彼が独立作家・時計師としての最初の作品が、
18金とダイヤモンド、サファイアで作りあげたタートル「亀」のオートマタンでした。

このオートマタンには長い時間を費やし工学的な研究、開発を行っただけでなく、
エナメル装飾やケーシングなど、伝統工芸を現代に昇華させる事も行っています。

最初の作品にオートマタンを選ぶところが、尋常ではありませんね。
なにせ機構が異なる為、
普通の時計師にはオートマタンを1から10まで作る事は不可能ですから。

彼はこの創作に最大限の愛を注いで創作しましたが、
この第1作によって彼の情熱はさらに燃え上り、直ちに次のステップ、
即ち「自分の時計を作る」、という夢の実現にとりかかったわけです。
それがシンプルな手巻き式の
彼の手による100%スイス製オールハンドメイドウオッチ第一号
「ソベルリー・オニックス」
です。


某御三家を手がけるアトリエに依頼した
18金ホワイトゴールドケースに収められたこのムーブメントは、
シンプルですが、一方で
一つ一つのコンポーネンツにいたるまで全て完璧に仕上げられています。

1950年代のシーマ社製ヴィンテージキャリバーをベースにし、
全工程を彼の手による古典的製造術のみによって作り直されて、
ハンドフィニッシュされています。

当然NCは一切使っていません。
彼が再設計し新たに設えられた直径13.30mmのテンワ、
そしてブリッジ。

地板のブラックマット仕上げと
手作業でしか得られない面取りの究極の仕上げは、
19世紀のハイエンドポケットウオッチのそれです。
厚手の金無垢プレートからハンドフニッシュされた針とインデックスと

ブラックオニキスダイヤルは、

時計に現代的かつエレガントな外観を与え、
かつてのアールデコ時代を彷彿とさせます。

伝統とモダンの美しい対比を呈していますが、
このパッケージは彼の地元と言えるラ・ショード・フォンが生んだ偉大な建築家
「ル・コルビジェ」
へのオマージュです。
意外な事実ですが、コルビジェは時計製造にも一時関わっていたのです!
「ソベルリー・オニックス」の創作過程に於いてラウルは、
伝統的な時計製造術やツールのみを用いる事により、
スイスの時計製造遺産、いわばルーツに立ち返りました。
その結果この作品は
「スイスの伝統的で純粋な時計作り」
の全てを網羅するユニークなタイムピースと成り得た事によって、
その先輩であるフィリップ・デュフォー氏に
「スイス・ウオッチメイキングの真の後継者」
として認められたと言うわけです。

ラウルは
「伝統的な時計製造術は今や消えつつあります。
私たちが生きている現代は、たった一つの歯車を作るより、
まるでプリントする様に作られるスピードと利便性、
そして効率が優先される時代です。
だからこそ、私はあえて全て人の手による時計を作るのです。
時計作りは芸術であり、その為にこそそうするのです。
ハンドメイドの時計達には情熱、忍耐、
そして精密さを見出だすことができます。
ですから私は、ネジ一本、歯車1個、針一本の細部まで自分により設計し、
創り、磨き込み、そして組み立てるのです。」
と話してくれました。
単にハンドメイドを売り物にしている時計も少なからずあります。
もちろんそれらも魅力的あったりしますが、
ラウルの目線の先、作品は、マスターピースを生んだ
スイスの先人達の下にあるのです。
どうです?
「ソベルリー・オニックス」は
限定10本で既にオーダーで完売。
今はさるコレクターからとんでもないリクエストを受けて、
スペシャルピースを製作中との事。
それに次のプロジェクトも進行中です。
彼こそが私の考える「神の手」いや「神の遣い」と呼べる
真の時計師と言うのが少しはご理解いただけたかと思いますが。
人柄も良く、ひたすらアトリエに籠るタイプは、
ちょっと時代遅れかもしれません。
でも学者肌で姉御肌の美人妻のナタリーが、
しっかりと彼のマネジメントしてくれるでしょう。
素晴らしいカップル。
ぜひこれからもスイスの至宝を守り、
素晴らしい作品を創造してもらいたいものです。
そうそう、彼らは相当の日本贔屓。
日本の伝統工芸と美術品については、よっぽど日本人より詳しいです。
名刺だって選んで京都で印刷、
「ハイGeorge、日本でアパートメントを買うとするといくらするの?」
なんて言う位ですから。
どうですか、こんな「神の遣い」のパトロンになって見ませんか?
それ、ものすごくGQっぽくあると思いますが??
あ、GQ時計コラムでお馴染みのヒロタ博士も、彼のアトリエに。。

彼に興味がある方は私までご連絡頂ければお繋ぎいたしますし、
もし直接コンタクトされる場合も、私の名前を出して頂ければ
それは時計好きの合言葉、スムーズに進むで事でしょう。