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魔都上海

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私には魔力に似た人徳がある。

幼い頃から感じていたことだが、アクシデント的な巡り合わせによって人との縁が結ばれ、その後の人生を動かしてきた。

その瞬間その瞬間に登場する個性豊な人物達が私の人生を後押ししてくれているように感じる。

2016年9月15日、東莞市虎門に滞在していた私は、日本帰国前の週末を上海で過ごしたいと思い、上海出身の友人に電話をした。彼女の名は " Sonoko "上海生まれで東京育ち、現在は台湾を拠点にしている日本国籍の女性だ。

彼女とは2012年に雨の渋谷で、それもスクランブル交差点で出会った。雨降る夜にパッションピンクの彼女のレイン・コートは今でも忘れられないほど、印象的であった。

私が滞在した東莞市虎門は、嘗て大英帝国からアヘンが持ち込まれた清朝時代、独自の政策によって初めて中国大陸でアヘン貿易を阻止し、地域のアヘン撲滅をいち早く成功させたことで有名な土地だ。

その過去から100年あまり経過した現在では、独自の繊維製造業を発展させ、アメリカやヨーロッパの繊維産業に多大な影響を与える、大規模なテキスタイルの輸出を行う大都市に発展した。

心底アジア人種の底力を感じる土地である。

 " Sonoko "が上海にいることを確認すると、出張を終えた私は東莞市から2時間かけて「 チャイナエアライン・中華航空 」」で上海に向かった。

18:30 夜霧に浮かぶ上海は、夜のお化粧を始めたばかりだった。

上海・浦東空港に " Sonoko "と共に「奥野」という人物が迎えに来てくれていた。

一年前に"Sonoko"が紹介してくれた、彼は中国を拠点にする日本人の投資家だった。

彼自身も " Z A R N Y collection "を愛用してくれ、私にとっては大切な顧客様であった。

武漢市が住まいだった彼もまた、タイミング良く上海に滞在していたのだ。

私は恐縮しながらも、彼らに今回の旅で、一つだけリクエストをしていた。

それは、「せっかくの出張帰りを利用して、週末上海に遊びに来たのだから、少し仕事をして帰りたい。」というものだった。

そこで、彼らが私に用意してくれたのは、名門デパート「 上海梅龍鎮伊勢丹百貨店(通称 : 上海伊勢丹) 」へのプレゼンだった。

早くも " Z A R N Y collection "は本格的な海外展開の一歩を、私の愛する「 上海 」から開始することが決定した。

成長に時間がかかるファッション事業において、他社が数年かかる行動を数ヶ月で行い、他社が数ヶ月かかる交渉を数日で完成させれたのは、時代の追い風か、私の強運か、仲間達の豊かな知恵か成せた成果なのか、何がともあれ、「 上海伊勢丹 」へのプレゼンを終え、私たちは中秋の名月に浮かぶ、週末の上海を満足して過ごした。

満月が照らす外灘の夜景は、チャイニーズ・ドリームそのものであった。

私たちは、再び三人で2017年3月に上海で集合することを約束した。 

2017年3月5日、成田行きの移動車の中で、浜崎あゆみさんが韓国のレセプションで、先日オーダーを受けた私のデザインしたドレスを着用したことが、彼女のインスタグラムの告知を通じて知った。その報告は、私たちの上海行きの活力を更に活気つけるものであった。

これまで幾度も、ポップアップストアを出展、そして設営してきたザニー・チームであっても、海外でのポップアップストアの展開は、そう簡単な作業ではなかった。幾度も予想不可能な、不可解な出来事が多発した。

" Sonoko "の友人達も開展準備のために応援に駆け付けてくれ、手伝いに来てくれたが、「 ガムテープを生まれて初めて触った 」と言い出す始末で、特権とお付き合いすると役に立たない時もあるということもよく理解できた旅であった。

そして、「 奥野 」の人脈により、施工や設営などは、日本から準備せずに、「 奥野 」の手腕で全て上海で用意した。そして、試行錯誤をしながら解決し、満足できるポップアップストアが「 上海伊勢丹 」に誕生した。

出展期間中、私たちは 9:30から上海伊勢丹に出勤し、閉店後の22:00まで作業をし、その後27:00まで上海に染まるという生活を3週間続けた。

私 32歳にして、10年前「 渋谷109 」でデザイナーをしていた頃のライフスタイルそのままに、上海で10年後も体現しているとは、決して思ってもみなかった。

その行動を懐かしみつつ、営業後は福州路沿いの高層階にあるナイトグラブ " M1NT "で、十数匹のサメが泳ぐ巨大水槽を背景に、私たちは「 アジアンドリーム 」について語り合った。

私がクラブで好んで頼むカクテルは 「 Cosmopolitan / コスモポリタン 」上海のナイトクラブで 「 Cosmopolitan / コスモポリタン 」を頼むと「大都会」と訳される。

私が、常宿とする1920年創業の「 Pacific Hotel Shanghai / パシフィック・ホテル・シャンハイ 」の向かい、上海人民広場の湖に浮かぶバーラウンジ "Barbarossa"ではニューヨークで飲むコスモポリタンよりも、香り高くティストの濃い上海版のコスモポリタンが用意される。

「 夢を持って上海に来た。」と満足そうに語る、湖南省出身の21歳のバーテンダーが作る「 真っ赤 」なカクテルは、私がこれまで味わったコスモポリタンの中でも一番味わい深かった。

その後は、外灘を走る孫文の日本語名から名付けられた、中山通りの " Bar Rouge "に向かった。

英帝統治時代に建てられたアールデコ調の飾り窓のビルの最上階には " Bar Rouge "というクラブラウンジが存在する。そこではその日、インドのヒンドゥー教の春の訪れを祝う「ホーリー祭」が行われていた。ホーリー( Holi )とは「春祭り」の意で、いつもはUS・トップヒッツのナンバーやハウスミュージック流れる " Bar Rouge "では、その日ばかりは " Bollywood Dance Music "のサウンドが、DJブースから大音量で鳴り響いていた。" Hindi Sounds "をBGMに浮かび上がる上海の摩天楼は「 21世紀は、アジアが世界の中心にある。 」ことを、宣言しているようだった。もしも、ウィンストン・チャーチルが時空を超えて、この光景を目にすることができたならば、どうこの光景を説明できただろうか。

私たちアジア人種は、確実に過去の破壊者達の未来を創造して、堂々と現在を生きているのだ。

" Bar Rouge "のある外灘からタクシーで速道を20分ほど移動すれば、フランス租界に辿り着く。" Le Baron Shanghai "はパリに拠点を置く、名門クラブの上海ブランチだ。 本家パリの 「  Le Baron de Paris / ル・ バロン・ド・パリ 」はかつて東京青山通りにもブランチが存在した。

私が " Z A R N Y ™ " を起業した2011年当時12月の満月の夜に " Le Baron Tokyo "を一晩貸し切りにし、私のVIPのお客様と友人や親類を招いて大々的ななレセプションパーティーを開いたことを思い出す。

 " Le Baron Shanghai "もまた本家同様に、パリの品格とご当地・上海の文化が融合した魅惑的な新鮮な空間であった。薄暗い真っ赤な照明のフレンチラウンジで聴く"李紅蘭"の"夜来香"は完璧且つ、刺激的な空間であった。

中国の若者達の間では "ABC"と評される人種が存在する。中国英語でいう "American Born Chinese "または"American Born in China "と評される、いわゆる「 アメリカ生まれ、またはアメリカ育ちの中国人種 」のことだ。" Le Baron Shanghai "の並びに " ABC "達の社交場となっているクラブが存在するのだという。

確かにクラブ " MONKY CHAMGPAGNE "は洗練された風貌の中国人の若者達が印象的だった。そして、来客の中にアフリカ系の若者が多いのは、AFRICAN UNION地域やASEAN地域に対する中国政府による留学支援制度や技術支援事業のおかげで、沢山の優秀な外国籍の若者達が上海に滞在しているからだ。

様々な国境を越え若者達が夜に恋落ちていく様は、まるで東洋のオペラ・ガルニエのようであった。

" MONKY CHAMGPAGNE "を後に、その並びに位置する "DIVA "というピュアなその土地特有の中国人の若者達が通うナイトクラブに移動した。中国の若者達はナイトクラブに正装していくスタイルで、オン・ファッションのカップル達が抱擁を交わすロビーを抜けると、私がこれまで予想だにしなかった空間が目の前に広がっていた。

それは「 骰子 / SHAIZI 」と言われる、日本でいう「 丁半・ちょうはん 」サイコロを使った遊びをクラブ中で大々的に行われているのだ。「 骰子 / SHAIZI 」は実際は無数の遊び方はあるが、簡単に説明すと相手のサイコロの数字を予測し、互いに数字を当て会うという賭事である。

クラブ " DIVA "ではアメリカ産の「 EDM / エレクトロダンスミュージック」のビートが大音量で流れる中、重なるように遊ぶサイコロの音が鳴り響いていた。

「 骰子 / SHAIZI 」の響くダンスフロアに、美しい中国製のネオン照明とライティングが空間を彩った。その世界観はまるで私を空想上の近未来に誘うような光景であった。

私には、中国と嘗てのテレサテンと " EDM "がリンクする。

中華圏における政治と音楽について話すと、報道のコントロールやインターネット規制が厳しい現代の中国において、嘗てのテレサテンの音楽が禁止されたとは思えないほど、アメリカ生まれの " EDM "サウンドを中心とした米国をもしのぐスケールで、世界一のクラブ大国に発展していることを実感した。

台湾出身のテレサテンの歌は1974年頃、文化大革命最中の中国に流通しはじめ、中国共産党当局は彼女の歌を西洋的で、不健全で愛欲的で不潔な音楽とし、カセットテープの販売・所持等を禁止する措置を取った。

中華民国・台湾では、反中国共産党政府感情を駆り立てる宣伝ツールとして彼女の歌が利用された。中国共産党当局は、テレサテンは西洋的な民主化を推進するプロパカンダ的存在だとし「 中華民国・台湾の民主化勢力の広告塔 」であるとみなされた。

「昼の中国は鄧小平が支配し、夜の中国は鄧麗君・テレサテンが支配する。」という表現からも理解できるように、当時の上海では ” Sonoko ”の母もまたクローゼットに隠れてテレサテンの歌を聴いていたそうだ。保安に見つかる前に、両親からも酷く怒られたからだ。

当時は、海賊版のカセットテープなどが流通し、それらを通して彼女の歌声が中国の若者の間で流行したのだ。そして、現代の中国では、アメリカで流行している " EDM "が若者たちの間で、それも合法的に大量に流行している。二十数年前まで、テレサテンの音楽が不純とされ、規制されていた国とは思えないほど、上海のナイトクラブは巨大で派手で、アメリカの音楽 " EDM "が本国をも凌ぐ勢いで流通している光景は蜃気楼かオアシスか、まるで私は砂漠に迷い込んだ旅人のようであった。 

自由経済を導入することによって、娯楽産業への中国政府のコントロール不足かと思う人もいるだろうが、それは違うと私は考える。健康上の懸念から2017年3月1日から中国では、公共の場で喫煙が禁止された。私たちが上海に入ったのが2017年3月5日。その段階でピタリと喫煙スペースがナイトクラブからも消え、路上でも区切りが設けられているところを見ると、中国政府が「 夜の中国 」をも統治できている様はなったのだ。

私たちが上海に滞在した時期は、5年に一度の「第19回全国人民代表大会」の開幕の時期と重なり、いつもより情報統制が厳しく行われたように思えた。取り分け " Face Book "や " Twitter " " LINE "や" Viber"などの西洋的な言語通信ツールはVPNを利用していてもを、通信速度が落ち不便な環境にあった。

その反面、中国版SNS「 WeChat  / ウィーチャット ・微信(中国語読み:ウェイシン ) 」やフランスの調査会社イプソス( IPSOS )の調査からも理解できるように、中国人口13.79億人の内インタネットユーザの70%が使用しているというシェアエコノミに代表される電子貨幣・電子決済の普及は「中国の若者達の自由思想こそが、資本活動を形成し、国家の文化的な発展に導く。」と、堂々と中国共産党当局の支配層が考えている現状を表しているようであった。

嘗て私が、WWD Japanの取材でも答えたように、「 " ZARNY collection "は常に上質なモノ作りをこだわり、性別を超え、年代を超え、家族の内、どの世代にも愛されるブランドにしたい。」と述べてきた通り、ある一定の層での認知ではあるが、日本での" ZARNY collection "の評価でもそうであったように " ZARNY collection "は幅広い層をターゲットにし、若い層から、その親の層、またはその上の年齢層まで満足させれるコレクションとなっていることが、上海でのポップアップストアの展開でも十分に理解することができた。


" Z A R N Y ™ "の海外進出の第一段階として、「 上海伊勢丹 」でのポップアップストアを展開したわけだが、上海伊勢丹のスタッフも評価するように " ZARNY collection "のポップアップストアへの来客者は幅広く、上海の流行に敏感なクラブキッズから上海市中国共産党員や官僚階級からシンガポールやムンバイ出身で上海在住の主要な面々をお客様としてお迎えすることができた。

その事実は、中華圏に置ける " Z A R N Y ™ "の可能性を確認するのには十分であった。

今回のイベントコンセプトである" Z A R N Y ™ "による「 來自亞洲多元素  / アジア・マルチエレメントの体現 」という題名に劣らないほど " ZARNY collection "を上海の人々に提案できいることは想像以上の成果であった。

古来から中国人の間で言われているように「北京人は食に、上海人は衣服に重きを置く。」という表現からも理解できるように、中国人の中でも、上海人は 「 ファッション 」に目が肥えているのだ。

時折、ランチ時には勤務先の上海伊勢丹を抜け出し、フランス疎開の " Sonoko "の友人で上海在住のフランス人が経営するカフェ " Shanghai Republik "でランチを取ったりした。

僕はパリで覚えた僅かばりのフランス語を試しに、また" Sonoko "の逆ナンの付き合いに、ランチでも行動を共にした。

ある日、ランチを取っていると、ウィーグル地方出身の女性が、私の小籠包の食べ方を見て、面白く笑うものだから、反射的に話しかけてみた。そうすると、その女性は「新疆ウイグル自治区」の著名な民謡歌手であった。

会話を重ねると、失恋をして、上海までしばらくの間一人旅に来たのだという。彼女は中国軍への慰問コンサートの映像や数々の自分の功績の写真を誇らしげに" iPhone "を滑らせながら見せてくれた。彼女は私たちと出会って、とても楽しかったと言い、その後は上海伊勢丹のポップアップストアまで来てくれ、ストア内で御礼に一曲歌ってくれた。

中国人は古くから上海のことを「魔都」と評する。「 人を魅了する魅惑的な力が、そのその都市に存在する」のだそうだ。過去の歴史からみても想像できるように、列強諸国が鬩ぎ合い市内に自治区を隔て統治した時代は、まるで 「 上海 」の魅力に列強が屈したからなのだとも思える。

ある夜、私たちは賑やかなナイトクラブ 少し離れ、貨物船の汽笛に導かれながら近くの港湾に出て、涼んでいると、女性達が小さな籠を抱えて、花を売りに寄ってくる。

夜の観光客には恐ろしく感じる光景だろうが、上海に数週間も滞在すれば慣れたものである。

いつも私は、ほろ酔いになると花を買う癖がある。

たまたま、一人の女性から薔薇の花を一輪購入しようとすると、覗いたその女性の顔はひどく焼け爛れていた。

私は少し動揺しながらも、彼女から薔薇の花を人数分購入したた。そうすると、彼女の片目と微かに判別できる唇の動きで、彼女が私に笑顔を贈ったことが認識できた。

私はその時、どんな人であれ前向きに生きることに挑戦する者を応援する 「 社会 」でありつづけて欲しいと願った。

上海伊勢丹での出展は予想通りに沢山の準備を必要としたが、周囲の期待を裏切らぬような堂々とした活動を実行できたと私は感じる。

それは、確実に中国大陸で活動する素晴らしい友士達に支えられた成果でもあった。

現代中国は、自ら明言する「世界の中心」である「亜州・アジア」から世界を見渡し、世界の良い部分を評価し、それを自国に柔軟に取り入れながら、自国の風土と融合させ、進化させているように思えた。

米国の大手コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー( McKinsey & Company, Inc. )が発表したイノベーションのグローバルな影響力に対して調査したレポートによると、中国企業は巨大な国内マーケットを背景に、消費者のニーズに合わせたイノベーションに強く、家電、ソフトウェア、エレクトルニックスの分野でのイノベーション力が、他国の企業よりも優れているという結果を発表した。それは、他ならない強力な中国政府による自国の研究開発の投資、イノベーション志向の発展政策を進めた結果が、後押しとなり中国イノベーションの原動力となっているのだ。

しかしながら、世界の一部では相変わらず中国の悪い部分だけを批評し、固定観念からなる大袈裟に揶揄によって、新たな時代の価値観を受け入れようとしていないのも事実である。

私は上海滞在中、日進月歩する現代中国を目にした。

答えのない「 対立 」よりも、可能性ある「 融和 」こそが新たな時代の未来を創造するのだと私は考える。

時代は「 ファッション 」であり、常に「 変化 」していることを私は理解したい。

破壊者であった先人の価値観よりも、前向きな創造者である私たちの評価で、世界を判断していきたいと考える。

渋谷ザニー

http://zarny.tv

http://www.zarny-onlineshop.com


【 関連コラム & 参考文献 】

「 CCTV / 央视网 」

http://www.cctv.com

「 上海梅龍鎮伊勢丹百貨店 」

http://www.isetan.cn/sh/

「 GQ JAPAN 夢のデパート 〜松屋銀座の11日〜 」

http://blog.gqjapan.jp/posts/1615286

「中国共产党新闻 (中国語)」

http://cpc.people.com.cn/19th/index.html

「 イプソス /  IPSOS 」

https://www.ipsos.com/en

https://www.ipsos.com/ja-jp

「 マッキンゼー・アンド・カンパニー / McKinsey & Company, Inc. 」

https://www.mckinsey.com/about-us/reinvent?cid=reinvent-pse-gaw-mbl-mck-oth-1710-lka

https://www.mckinsey.com/japan/overview/ja-jp




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