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東京は夜の七時 ── 24年間の7選

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2016年のリオパラリンピック閉会式を、あなたは観ただろうか。安倍晋三のスーパーマリオはオリンピックのほうだ。それならぼくも観た。

パラリンピック閉会セレモニーのオーラス、音楽は『東京は夜の七時』だったということを最近になって友人から教えられた。

「はやくあなたに逢いたい」とくりかえし唄うこの曲は、次回開催国のフィナーレには素晴らしくナイスチョイス、ということなのだろう。しかし、それを教えてくれた1990年代生まれの友人は『東京は夜の七時』のオリジナルを知らなかった。リリースされた1993年は24年前なのだ。

このピチカート・ファイヴの代表曲のひとつには、多くのバリエーションやカバーがある。歌詞までいくつかのバージョンがある。そういうわけで、今回はYouTubeで観られる『東京は夜の七時』を7種類だけ紹介する。



東京は夜の七時 ─ リオは朝の七時 ─

2016年。これがそのパラリンピック閉会式。音楽監督を努めた椎名林檎によって歌詞が書き換えられ、タイトルも『東京は夜の七時 ─ リオは朝の七時 ─』となった。これは東京とリオ・デ・ジャネイロの時差をあらわしている。

歌唱は東京事変のギタリスト浮雲こと長岡亮介。この曲を男性が唄うのは意外ながら、彼の美声を東京事変やペトロールズで聴いていた人なら思わず膝を打つ人選だろう。変更された歌詞は、原曲のそれがこの場にまったくそぐわないので仕方ないが感心はしなかった。オリジナルの歌詞の意味を思えば、これはただの替え歌でしかない。



東京は夜の七時(『ウゴウゴルーガ2号』)

そもそもなぜ「夜の七時」なのか? 金曜夜7時にオンエアされていたテレビ番組『ウゴウゴルーガ2号』のタイアップ曲だったのは無関係ではないはず。確か生中継だったこの映像は、『ゲット・バック』を思わせる屋上でのセミ・ライブ演奏。歌詞はこれがオリジナル。1993年。



東京は夜の7時 / 矢野顕子

矢野顕子の曲に、ほぼ同じタイトルのものがある。別の曲だが、まったく無関係というわけでもない。タイアップのために「夜の七時」というお題から小西康陽がこの曲名を連想したことは、ありそうな話だ。「TOKYOは夜の7時 RIO DE JANEIROは朝の7時」という時差についての歌詞は、むしろこちらがリオ向きのようでもある。演奏は後のYMOたち。細野晴臣はピチカート・ファイヴのデビューに一役買ってもいる。1978年。



東京は夜の七時(one year after)
 

1994年、アルバム『overdose』収録。「one year after」と銘打たれたこのバージョンは、歌詞の後半が後日談になっている。不穏なイメージに変更されたアレンジも手伝って、悲しいバッドエンドのようにも、本当は怖い系サイコスリラーのようにも聴こえる11分間。初めてこれを聴いたときは驚いたし、悲しくもなった。



東京は夜の七時。/ 野本かりあ

2006年。ピチカート・ファイヴ解散後の小西康陽による、ある種のセルフリメイク。歌詞も若干アップデートされている。11年前の観客も戸惑ってるけど、きっとあなたも戸惑う。



東京は夜の七時音頭~盆踊りVersion / 野宮真貴

2016年。野宮真貴による音頭版。椎名林檎への意趣返しということではないと思うけど、祭り感が希薄な歌唱が不思議な印象を与える。現時点で最新型の『東京は夜の七時』。


The Night is Still Young (À Tokyo mix) 

最後のオリジナルアルバム『さ・え・らジャポン』(2001年)収録の『東京の合唱』とのマッシュアップ。この物語にハッピーエンドを望むなら、非公式とはいえこのポジティブな雰囲気に救われるはず。


もうおわかりのように『東京は夜の七時』は本来、悲しい歌だ。「会えなかった二人」について唄っている。2020年の東京では幸福な完結編が聴けるといいのだけれど。

文とフォトショップ:堀川フミアキ


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